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新規ブランドの開拓4

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今回から紙芝居風に… 

これがドラゴンズ・デンという番組の投資家の方たちだ。  

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 会社はもう倒産しかけていて、妻もスーパーでパートを続け、誰からも投資されず、どん底だった。

しかし、あきらめずに全力を尽くしていた彼に神は見放さなかった。

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そして、さらに。。。。。

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それだけじゃない。。。。。投資してくれたお金でテスト販売ができた。

そう、それは夢でみた音楽イベントでこのワインを販売すること。。。。

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続く。。。

 

 

新規ブランドの開拓3

そこで、社長のジェームズさんは思い切って会社を売ってしまった。

でも350万円だから大した規模の会社ではなかった。

その他1,200万借金してプラスチック・グラス入りのワインの開発を始めた。

プリンの容器みたいなものを作っても中身のワインは酸化してしまう。

酸化しないグラスに参加させない充填方法でやらなくてはいけない。

失敗に失敗が相次ぎ、だんだん資金が底をついてきた。

さらに親戚と兄弟に6,000万円借りてとことんのめり込んでいった。

しかし、思う様には行かず、奥さんはスーパーマーケットでパートを始めた。

いい思いをさせてあげようと思い切ったのに逆に奥さんには迷惑をかけてしまった。

「自分の為、自分を支えてくれる人のため」の心境だったに違いない。

この時期が一番、辛い時期だっただろう、もう会社は倒産しかけていた。

そんな時、ジェームズさんは日本でも流行っていた「マネーの虎」のイギリス版「ドラゴンズ・デン」という番組に出演する機会を得た。

私のその映像を見せてもらったが、ジェームズさんが本当にかわいそうなくらい、番組に出ていた投資家の方達からいじめられていた。

そんな、量が少なすぎてワンカップを飲む人いないだろ!とか、プラスチックカップなんてまずそうだから誰も飲まないだろ!とか販売先は決まってるのか!とか散々攻められて結局は誰も投資はしてくれなかった。

続く

人生死ぬまで挑戦だ!

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  1950年代に入ると、高速道路の開通にともなって人の流れが変わり、客の入らなくなった店を手放した。65歳のサンダースは、フライドチキンワゴン車に積んで各地を回り、その調理法を教えてフランチャイズに加わってもらい、歩合をもらうというアイディア商法を考え出す。これがケンタッキー・フライドチキン(KFC)の始まりとなる[1]ユタ州ソルトレイク市のフランチャイズ一号店以後、一線を退くまでに600店を超えるフランチャイズ網を築き上げた[1] 

以上ウィキペディアからの文章である。

みんなの知っているカーネル・サンダースのおじさんが20歳の時の写真だ。

知人であるケンタッキー州のギタリスト パット・カートリーさんが子供のころ、近所に住んでいたカーネルおじさんの孫をカートリー家がベイビーシッターをしていた関係でたまに引き取りに来ていたそうだ。パットさんから聞いていた話は本当だった。

カーネルさんは65歳でケンタッキーフライドチキンを始めた。それまではカフェを営んでいたがフライドチキンのフランチャイズ展開ではなかった。

65歳で再出発ですよ。しかもワゴン車で各地を回って。

何歳になってもやり直しはきく、人生死ぬまで挑戦だ!

「もう、遅い」なんて言い訳は聞きたくないし言いたくもない。

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