2011年10月アーカイブ

新規ブランドの開拓2

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イギリス出張で初日に会えなかった社長のジェームズさんとのアポは最終日の飛行機が発つ数時間前だった。もう、このチャンスを逃すと今回の出張では会えない。初日に散々迷って辿り着いたので今回は予定通りにジェームズさんの事務所に着いた。
通されたのは最上階にあるフロア、そのドアのカギを開けようとするが、まったく開かない、鍵をガチャガチャやって無理やりドアを開けた。
なーんにもないそのフロア、以前に他の会社が使っていたと思われる。大きな広いフロアの角にテーブルが一つあるだけ。待っている少しの間、色々と考えた。「ここの会社はこれから伸びて社員が増える事を予想してこのワンフロアを借りたのだろうか?」「もしかしたら次に来る時は、このフロアにも社員がいっぱいになるくらいに成長しているのだろうか…」その後ジェームズさんとやっと会う事ができ、お互い自己紹介から会話が始まった。彼は以前、小さな警備会社を経営していた。なんかちょっとパッとしないさえないおじさんなのだが、そのおじさんは警備会社を売ってこのお酒の業界に入り込んできた。きっかけはグラストンベリー・フェスティバル(フジロックフェスティバルの数倍の野外音楽フェスティバル)でバー周辺の警備を頼まれた事であった。彼はバーでワインを頼む人達のほとんどが、カップに注がれたワインをこぼしてしまうところを見ていた。喧嘩も多いフェスティバルではボトルでの販売が禁止されている。そしてカップに注がれたワインを片手に人ごみをかき分け、酔っ払いの合い間を歩いているといつの間にかワインの1/3位はこぼれてしまう。ジェームズさんはここに商売のヒントがあると思ったそうだ。
続く…

ポジティブ・シンカー

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アンドレ・マー はクロックスの香港・台湾のGMをやっている。アジアの中でも3~4番目に古い社員である。

今は36歳だが、20代後半から中国の工場をコントロール、倉庫の立ち上げ、そして中国全土の流通も任された。コーポレートの経営意外はすべてをこなしてきた。

台湾に生まれて、小学生のころサンフランシスコに移住、裕福な家庭に生まれながらもハングリー精神と諦めない常に挑戦する志は勉強になる。 彼のすごいところは"No"と言わないところだ、常にポジティブに前向きでどんな部署の人たちとも上手くやれる。誰からも絶大な信頼を得ている。どんな話をしてもすべてポジティブに切り替えるポジティブ・シンカーだ。

私と違うところが大きくある。

自分は大きいモノ、上の者に自分のやり方が合わなければ”No”と言ってぶつかる。そこで必ず自分のやり方を通して実績を出す。自分で自分を切羽詰まらせて追い込むのが自分のやり方。どちらが良いとか悪いとか言うことではなくて、それぞれの持ち味の活かし方や生き方の違いだと思う。要するには最後はどちらのやり方をとっても実績を出すことが大事である。

今では二人が残っているが、マー3兄弟はクロックスのアジアを引っ張ってきた、恐るべきマー兄弟、起業家のおじいちゃんから受け継いでいる教えを今度は聞いてみたい。

ご婚約おめでとう!次に会う時はTulip でフィアンセと一緒に乾杯しよう!

 

 

 

人生死ぬまで挑戦だ!

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  1950年代に入ると、高速道路の開通にともなって人の流れが変わり、客の入らなくなった店を手放した。65歳のサンダースは、フライドチキンワゴン車に積んで各地を回り、その調理法を教えてフランチャイズに加わってもらい、歩合をもらうというアイディア商法を考え出す。これがケンタッキー・フライドチキン(KFC)の始まりとなる[1]ユタ州ソルトレイク市のフランチャイズ一号店以後、一線を退くまでに600店を超えるフランチャイズ網を築き上げた[1] 

以上ウィキペディアからの文章である。

みんなの知っているカーネル・サンダースのおじさんが20歳の時の写真だ。

知人であるケンタッキー州のギタリスト パット・カートリーさんが子供のころ、近所に住んでいたカーネルおじさんの孫をカートリー家がベイビーシッターをしていた関係でたまに引き取りに来ていたそうだ。パットさんから聞いていた話は本当だった。

カーネルさんは65歳でケンタッキーフライドチキンを始めた。それまではカフェを営んでいたがフライドチキンのフランチャイズ展開ではなかった。

65歳で再出発ですよ。しかもワゴン車で各地を回って。

何歳になってもやり直しはきく、人生死ぬまで挑戦だ!

「もう、遅い」なんて言い訳は聞きたくないし言いたくもない。