2011年8月アーカイブ

限界を超えて初めて充実

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総勢50人の団体で富士山の頂上を目指した。

 

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そこには半身麻痺の方、全盲の方、車いすの方、聾唖者が混じる。車いすは16人の男性が神輿のように大きな声でお互いを励ましあいながら。

私たちジュートの社員は全盲の方をリードした。

午後2時にスタートしたが思ったように進めない、車いすの通れる道ということでブルドーザー道を選択したため粗い砂地を踏みしめる。一歩踏み出す度に足がズリッと落ちていき疲れを2倍にさせる。

日が暮れ、風が吹き、冷たい雨が体を冷やす。

安い雨具にしてしまった自分の上半身はびちょびちょだ。

呼吸が荒くなる、休憩後に10歩踏み出すだけで呼吸がマックスになり気持ちが悪くなる。

情けない、高山病になりかかっている様だ。

社員の明瀬の息子さんも休憩に入るとすぐ眠くなる、9歳の小さいからだにも異変が起きている。

涙は出さないが泣きそうになる。

母が「返事しなさい!」「寝るんじゃない!」「みんな辛くても何も言わずに頑張って歩いているのよ!」

うつむいて返事も、首を振ることもできない息子がそのたびにむくっと起き上がりまた力を振り絞って暗い何も見えない急こう配の砂利道を小さな足で踏み出していく。

誰も引き返すことはできない。

そんな中、雨宮が手を引っ張る全盲の吉田さんが何も言わずにどんどん先に進む。

8歳まで弱視だった。それ以降は世の中の色を見たことがない。

私も引率したが、自分よりも早く登る、普通のスニーカー、レインコートも持っていない、小さなザックをしょって。気合の入り方が違う、こんなに長い時間障害者と一緒にいたことなかったが、精神的な強さは驚くほどだ。

このチームのリーダーであった大学生も具合が悪くなり、引率もまとめることもできなくなってしまった。

私も先頭から脱落して他の人の荷物を前にしょい、自分の荷物を後ろにしょい、荷物係を手伝うことにした。自分の担当がまともにできないことに恥ずかしく思い、せめて何か他の役に立ちたいと思った。

気がつくと吉田さんは雨宮が一人で一生懸命リードを続けた。誰かがやらなくてはいけない使命感に燃えて。

明瀬は強い、守るものがある母なのだ。息子を元気づけるために常に声を出す、そして後ろで「ぜーぜー」言ってふらふらしている自分が崖から落ちないように常に目をやり声をかけてくる。

夜中の12時を回った、チームがばらばらになり、大きく取り残される。先にいた先頭集団のヘッドライトも見えない状態。

雨が視界を悪くし、休みたいが休むと体が冷たく硬くなってしまう。

やっと8合目の宿に着いたときは夜中の12時半だった。

何年も体験していなかった限界との戦い、疲労困憊を久しぶりに味わった。

団体を率いる後藤一さんがやっとありつけた夕食の席で言った。

「頂上を目指す人はもう今から登山開始です、悪天候のためにご来光は見えませんが行く人いますか?これから4時間登ることになります。」

と言った瞬間、真っ先に手を挙げたのは明瀬の息子だった。

彼はご飯もろくに食べれないほど疲れきっているのに。

そう、登山の二日前、彼はひいおじいちゃんの告別式に出たばかりだった。養子になったので戸籍上はお父さんが亡くなったことになる。

ひいおじいちゃんの写真を持って富士山の頂上に立つとひいおばあちゃんと約束したのである。

ひいおばあちゃんから聞いてたから、ひいおじいちゃんは昔、下駄で富士山に登ったと…

この登山で様々なドラマがあった。

皆がそれぞれ限界に挑戦し様々な困難を乗り越えてきた。

次の朝、一瞬覗かせた青空と奥深い雲ががどんなにきれいだったことか。。。。

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